NGOはロヒンギャ問題をどう見るか

海外トレンド2017.10.25

散発的に行われる民間人の食料配布にむらがる難民たち。 Photo by ジュマ・ネット

前回を上回る50万人のロヒンギャ難民

2016年10月9日、そして2017年8月25日に、ミャンマー ラカイン州とバングラデシュの国境付近において、Arakan Rohingya Salavation Army (ARSA)と名乗るイスラム系武装集団の治安部隊への攻撃がきっかけで、ミャンマー軍によるテロ掃討作戦が展開された。

その過激な応酬の過程で、大量の少数派イスラム教徒ロヒンギャがバングラデシュに逃れる事態となった。その数は50万人と、91年、96年の流入を遥かに超えた。私が関わるNGO ジュマ・ネットは、今回流出した難民に対して食料支援を実施し、今も継続している。

今年の9月9日、大量の難民が流入する最中に、現地に入ることができた。

路上に座り込むロヒンギャ難民の人たちに話を聞く筆者。 Photo by ジュマ・ネット

路上にぐったりとして座り込む難民たちが道の両脇に溢れていた。通りかかる人や車に手を差し出し、物乞いをしている者もいた。小型トラックが路肩で止まったかと思うと、座り込んだ難民たちにいきなり食料を放り投げた。慌ててそこに群がる難民。道の両側のなだらかな丘は、難民たちが竹とビニールシートでつくった臨時のシェルターで頂上まで埋め尽くされていた。

援助はまったく間に合っておらず、バングラデシュ最南端のテクナフ半島約30キロの道は、こんな風景で一変してしまっていた。

突然配られたバナナを手に入れた少年。今日最初の食事だという。 Photo by ジュマ・ネット


勝手に非常用テントを建てる難民。 Photo by ジュマ・ネット

「ミャンマーで何があったのか」と彼らに尋ねた。
「家族を殺された」「途中ではぐれてしまった」「川を渡るとき子どもが溺れて死んだ」「何も持っていない」と恐怖と混乱の証言が限りなく語られた。

援助の遅れはその後も続いたが、国際社会の声が高まるなかでバングラデシュ政府も腰をあげ、10月に入りロヒンギャ難民の支援活動は徐々に正常化しつつあるようだ。

日本社会はロヒンギャに沈黙する?

近年、大量の難民がこのように発生する事態はアジアではなかった。
2015年に大量のロヒンギャが乗るボートが何艘(そう)も漂流する悲惨な状況が報道されたにも関わらず、アジア諸国の動きは遅かった。日本政府も今回の難民流入に対して、冷淡な印象が拭えず、それは日本のNGOも同じだ。

国籍を奪われ、不当な弾圧を受け、生命の危機を超えた逃避行の後も冷遇される難民は世界にそれほど多くはない。

今回の日本を含むアジア諸国の動きの鈍さには、いくつか理由と思惑があるのだと思う。

ひとつはミャンマーにおける経済活動の魅力だ。
民主化以後、ミャンマーへの投資の増加動向は驚くべきものがある。日本もその一国である。
そして日本のNGOは、頑なな政府(軍)の態度と監視に怯え、ミャンマーのフィールドを亡くすことを恐れ動こうとしない。結果的に軍事政権時の位置からNGOもまだ出られずにいるのだろうか。そしてその冷淡さが、何度もロヒンギャ難民が発生する構造を放置しているのではないだろうか。

ミャンマー仏教徒の「ロヒンギャはいない」という言説

現地を視察後、ジュマ・ネットとしてロヒンギャ難民の募金を集めるため、Facebookで呼びかけを始めたところ、ミャンマー人からの激烈な書き込みが起こった。
「ロヒンギャはいない」「彼らはテロリストだ」「日本にロヒンギャを連れていけ」「もっと勉強しろ」。
書き込みは200件以上となり、投稿者たちのFacebookには、アウンサンスーチー氏の写真があちこちにアップされていた。

「ロヒンギャは違法な移民だ」という彼らの主張は、1948年1月のビルマ(ミャンマー)独立の前後に発生した「ムジャヒッドの乱」などに代表される、英国の力を借りてラカイン州に独立国家をつくろうと流入し、仏教と衝突したイスラム教徒の人びとを指している。しかし、独立前から存在していたという事実も数々指摘されており、すべてのイスラム教徒が独立後に違法に入ってきたとするのは難しいとする声も絶えない。

むしろ、ラカイン州で急激な人口増加をしているロヒンギャへの驚異と反発する心理に「違法な移民説」が非常にうまく入り込んだと考えることもできる。1960年代からこの言説は強化され、実際にミャンマーの法に反映され現在に至っている。ロヒンギャ問題を考えるとき、このミャンマー国内の言説から見据えることから始めなければいけない。

9月にテクナフ半島を視察した際、路上で出会った母親。子どもはぐったりしている。 Photo by ジュマ・ネット

アウンサンスーチー氏の動きに追い風を

北東インドからミャンマーにかけて、焼畑などを好むモンゴロイド系の民族がひしめいている。これらの民族の多くは、独立時の国境線で二分され、バングラデシュ、ミャンマー、インドなど両方の国に分断され、今に至っている。ロヒンギャの問題も、こうした北東インドの民族と似た経緯を持っているとしたら、こうした国々の解決方法から学ぶこともできる。そして70年以上もそこに住み続けたロヒンギャの人びとを、過去の歴史認識だけで縛ることは、結果的に今回のようなことが繰り返されることは明白である。

アウンサンスーチー氏が9月19日にスピーチを行い、ロヒンギャの帰還、権利の拡大の意思を世界に伝えた。もし帰還したロヒンギャたちに何らかの補償が法的に与えられるのであれば、これは大きな前進であり、問題解決の糸口になる。今は、その最大のチャンスでもある。NGOはこうした動きに国際社会から応援の風を送る責任があるのではないだろうか。

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