人2019.08.22
井端梓(いばた・あずさ)/1978年生まれ。大学卒業後、企業経験を経て、2004年より2年間にわたり青年海外協力隊としてフィリピンで新体操の指導を行う。帰国後はNGOの中間支援を行う認定NPO法人国際協力NGOセンター(JANIC)にて12年間勤務。2019年より認定NPO法人マドレボニータの認定する産後セルフケアインストラクターとして産後ケア教室を開講。2歳・6歳の2児の母。
多くの社会課題がある中、「解決しよう」と仕事や人生を通して関わろうとする人たちがいる。そこにはどんなストーリーがあるのか。青年海外協力隊を経てNGOに就職し、現在、産後女性のケアに取り組むマドレボニータのインストラクターとして活躍する井端梓さんに話を聞いた。
小学生から新体操を始め、高校生の時にジャズダンスに出会った。音楽や振りを組み合わせて表現がつくられていくことに面白さを感じ、将来はダンスの先生になりたいと考えた。しかし、先生になることができるのは一握りの厳しい世界。自信を持てず、周りに流されるように大学へ進学し、地元で就職。仕事は忙しかったが、人間関係に恵まれ、初めての社会人経験に多くの刺激を受けた。
でも、「私がずっとやりたい仕事ってこれなのかな?」。
ある時、何気なく手に取ったチラシに書かれた“フィリピン”“新体操”の文字が目にとまった。
「海外で新体操を教えるっていいじゃん」。
小学校3年生から高校生まで習っていた新体操は、先生がボランティアで教えてくれていた。
「私にも、誰かに楽しい運動の時間を提供できるならいいなって。途上国や国際協力という意識はあまりなかった」。
2004年から2年間、フィリピン ラウニオン州 サン・フェルナンド市の公立高校に青年海外協力隊(以下、協力隊)として派遣された。しかし、現地に着いてみると、学校にあるはずの新体操クラブがなかった。先生への交渉、生徒のリクルートなど、一から活動をつくり、新体操を教えた。
派遣されたラ・ウニオン州立高校は生徒5,000人のマンモス校。新体操初心者の生徒と、毎日基礎から練習し、試合へ臨んだ。 Photo courtesy of 井端梓
協力隊のよいところは、「現地に住むこと」と、井端さんは振り返る。首都のマンションやコンドミニアムではなく、活動の相手と同じ衣食住を経験する。
「途上国の人々の暮らしや気持ちがわかった。協力隊には少なからず何かをしてあげるというマインドがあるけど、全然そういう感じではなくて。たくさんの人にお世話してもらった。そこにいさせてもらうだけで精一杯でした」。
同じ時期に派遣されている隊員に誘われ、日本のNGOが運営するストリートチルドレンや虐待された子どもたちを保護する施設を訪れたことがあった。ダンスを教えに行ったり、子どもたちと遊びに通うようになり、施設に来た頃は暗い顔をしていた彼・彼女らが、本来の明るさを取り戻していく姿を目の当たりにした。
「そこで暮らしていた子どもは10人くらい。でもそのひとり一人の人生は劇的に変化していった。ずっと日本で暮らしていて、何をやっても世の中は変わらないと思っていたけど、変わることがあるんだって」。
井端さんをもう一つ驚かせたのが、この活動が寄付で成り立っていることだった。
「誰かの人生を変えるような大きな活動を、人の“応援したい”気持ちからつくることができるのがNGOなんだって思いました」。
フィリピンの経験からダンスを仕事にしたい想いが大きくなっていたが、NGOへの関心も強くなっていた。帰国後、日本のNGOの基盤強化に取り組むネットワーク組織 国際協力NGOセンター(JANIC)の求人情報を見つけ、家から遠く給料も低かったが、それでも「やってみたい」と感じ、就職。
2006年から12年間、NGOと企業の連携を担当し、まだCSRやNGOと企業の連携が今ほど主流ではなかった時代に、企業とNGOのニーズをつなげ、両者が対等な立場でCSRを推進していくプラットフォームを立ち上げた。企業の中でのNGOの認知度やNGOの企業とのパートナーシップの理解向上に貢献した。
「それまで、世の中の仕組みやルールは、“すでに決まっている”ものだと思っていた。でも『必要だからつくろうよ』と同じ志を持つ人が集まってかたちにし、共感を集め大きくなり、社会を変える力になっていくのを間近で見て、マインドセットされた」。
井端さんに転機が訪れたのは、第2子の育休から復帰した2017年。きっかけは、パートナーから「転勤するかもしれない」と告げられたことだった。仕事は充実していた一方、将来のキャリアパスを描けずにいた。退職し、家族で移住することを決めた。
「仕事どうしよう?」と考えていた時に偶然見つけたのが、産後女性の心と体のヘルスケアに取り組むマドレボニータのインストラクター募集だった。実は、第2子出産後、体調や気分の浮き沈みに悩み、マドレボニータの産後ケア教室に参加したことがあった。そこで、出産後の症状や当事者の辛さ、パートナーへの伝え方を、自分で気づくプロセスを通して回復することができたという。
産後ケア教室の開催場所はインストラクター自身が選ぶことができる。身体を動かす特技も活かすことができ、自分と同じように悩んでいる産後女性の助けになりたいと、資格を取ることを決意。約半年間の養成コースと難関の試験を突破し、2018年11月に認定インストラクターになった。
インストラクター養成コースの同期と。 Photo courtesy of 井端梓
「私が教室で言ったことややったことが、参加者の意識や生活の一部になっていく。人と深く関わる仕事です」と今の仕事を語る井端さんは、最近、人とのつながりの大切さを感じているという。
人が気づきを得て、前向きになっていくワークショップという場が好き。参加者に寄り添い、ひとつでも多くの気づきを得て元気になれる場づくりを心がけている。産後ケア教室は母親と赤ちゃんで参加する。教室が終わった後、赤ちゃんを抱っこさせてもらうのが幸せな時間。
「若い頃は“一人で生きている”と思っていた。NGOに関わり、人の想いが人や社会を変えていくことを知って、“変われる”ことは希望なんだと気づいた。その前提が相手を許す・認めるという人とのつながりの中にある。自分の間違いや失敗を受け止めてくれる人がいたり、頑張った分だけ成果が出る状況は幸せ。これが当たり前ではない環境で生きている人たちもいることを忘れないようにしたい」。
ダンスも続けている。
定期的にダンスイベントへ出演している。曲を選び、振り付けを考える。子どもが生まれてからは、リハーサルの予定が組みやすいソロやデュエットが増えた。 Photo courtesy of 井端梓
「ダンスの表現や多様性も、人とのつながりから生まれてくる。きっと人生を通して関わり続けていくので、もっと自信をつけ、次のステップに進めたら」。
井端 梓 MadreBonita認定 産後セルフケアインストラクター
マドレボニータの産後ケア 中目黒教室/武蔵小杉教室http://azusaibata.mystrikingly.com/
JANIC正会員団体
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