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はいいいえ

(特活)燈台 スタッフロングインタビュー前編

『信念とともに、ひとびとの声のため、アフガニスタンへ』
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お話をお伺いしたスタッフの方

現地代表 浜田文夫さん
浜田文夫さん (現地代表)

スタッフからのメッセージ

「いただいたお金は、現地で使います。3期目に入る学校建設と、クリニックの薬の為に。現在、薬代が高騰しています。」(浜田さん)

アフガニスタンと、燈台

かつて、アフガニスタンはとても平和な国だった。だが1979年の旧ソ連軍のアフガニスタン侵攻により、状況は一変した。その後23年間は、戦争が続く。国土は荒廃し、200万人以上が死亡し、2500300万人が身体障害を受け、550万人が難民となって国外に逃れた。タリバン政権下の圧政、そして2001年の世界同時多発テロ事件をきっかけにはじまった空爆。現在も不安定な情勢が続き、国の至るところに弊害をもたらしている。国民の約80%が字を読むことが出来ないと言われている事は、その一例にすぎない。マラリヤや風土病も、まん延している。

難民キャンプの様子  難民キャンプの様子
難民キャンプの様子

燈台は、そのような状況下に暮らす、アフガニスタンのひとびとの為のNGOだ。1987年に、当時カブールに住んでいた中川兼三さんという方が、彼らを助けたいという思いで始めた団体である。中川さんがパキスタンのクエッタ市に「ヌール小児科クリニック」を開設して、13万人以上のアフガン難民の子どもたちを無料で治療したことが、その活動の最初となった。現在は、難民の帰国に伴ってアフガニスタンにその活動の場を移し、カブール市等で中学校・高等学校・女生徒の為の進学塾や、マラリヤとリーシュマニアの風土病の診療所の運営を行っている。

「最初はすごくちっちゃかったんですね。知り合いのお医者さんとか集めて、5~6人で始めてたんですよ。」と現地代表の浜田さんはいう。今回は、この浜田さんに、お話を伺った。

風土病「リーシュマニア」のひとびとに治療を~医療支援~
リーシュマニアに罹った子ども
リーシュマニアに
罹った子ども

リーシュマニア、と聞いてピンとくる方は少ないのではないか。リーシュマニアは日本には無い風土病であり、現在世界中に他にこの病気の治療を専門としているNGOも無い。リーシュマニアは、「サシチョウバエ」という蚊よりも小さな虫を媒体として、寄生原虫であるリーシュマニアが動物から人間に移ることで発症する病気である。アフガニスタンでは、皮膚リーシュマニアが多い。皮膚が病変し、発赤、硬結、潰瘍を作る病気だ。潜伏期間は、約2週間~数ヶ月。21回、薬を直接患部、もしくはでん部に注射することで治す。

「リーシュマニアは、難民たちの間に、結構見られたんですね。それで、燈台はパキスタンで活動していたときから小児科のクリニックでリーシュマニアの患者さんも診ていました。」と、浜田さん。そして現地の人たちの要望の声に後押しされて、この支援のスタートを切ったそうだ。現在、アフガニスタンでは28州に患者がおり、カブール市周辺では、20万人以上がリーシュマニアに感染しているという。

リーシュマニアにかかった子どもたち  リーシュマニアにかかった子どもたち
リーシュマニアにかかった子どもたち

「これは、直接死ぬわけではないんです」。それが、この病気が他の団体から支援の対象とされにくい理由だそうだ。「みんな、後まわしにするんです。それで治療する施設が少なかったんですね」と浜田さん。しかし、患者が減っているわけではない。十数時間かけて、クリニックを訪ねてくる人も多いという。また、リーシュマニアの治療法はアフガニスタンのひとびとにあまり知られておらず、患者に対する社会的な理解も乏しい。病症が目立つ病気であることから、離婚を誘発する原因となるなど、社会的な問題にもつながるケースもあるという。燈台が運営する診療所「マラリヤ・リーシュマニア・クリニック」では、日々、リーシュマニア患者の方々を診療している。

治療を受けるリーシュマニア
治療を受けるリーシュマニア

しかし、リーシュマニアの薬は高い。薬を買うことができず、クリニックに来た人たちを治療出来ないこともあるという。それでも、患者さんは来る日も来る日も訪れる。そのような患者さんには返す言葉がない、と浜田さん言う。「お金がなければ、ごめんね、というしかない。そういう『何人のひとを診れませんでした』というのは、数字に出てこないんですよ。それは、日本にいる人たちには伝わらない。それは、現地の人が知っている。でも、私たちは知らなきゃいけない。・・・自分がこれだけ活動をやったとは、胸張って言えないですよね。助けられなかった人たちを考えると」。

勉強を楽しめる場所を~教育支援~

燈台のもう一つの現地活動である教育支援は、アフガン難民のため学校をつくったことから始まった。出身地も出身部族も多様な難民キャンプでは、ひとびとをまとめるのが大変だったという。しかし、この学校は、いわゆる応急措置的な「難民学校」の枠にはとどまらない。その理由はこの学校の運営方針にある。

学校で教育を受ける<br />子どもたち
学校で教育を受ける
子どもたち
  学校でコンピューターの授業を受ける生徒
  学校でコンピューターの
  授業を受ける生徒

「イスラム教を一切教えませんでした。アフガニスタンの学校の多くは、宗教を教えるところなんです。それを教えないということで、この学校の性格はどうあるのかを方向づけるのが大変でした」と、浜田さんは語る。当初はこの方針に対して、住民や生徒からは反発もあったという。しかし浜田さんはこの方針を徹底した。宗教の話をすると、政治的な話につながることが多く、それがきっかけで学生も教師も分裂し、学校が潰れていくことが多いためだ。無宗教の方針を貫いた結果、学校は勉強が主体のものとなった。宗教を教えていなくても、生徒からの人気は高くなっていった。生徒たちが、勉強の魅力に目覚めていったからだという。

「純粋に勉強することが魅力である、ということを伝えていかなくてはならない。あれしちゃダメこれしちゃダメじゃなくて、こんなにいいものがあるということを同時に訴えていかなくては、誰も学校に来なくなっちゃいますからね」と浜田さん。

難民支援でよく取り上げられる「識字教育」よりも、「高等教育」に重点を置いた燈台。戦争が続くなかで、高等教育の必要性を感じた為だという。「戦争が起こるたびに、何回も医者やエンジニアなどのエリートたちは殺されていきます。では、次のエリートたちをどう育てていけばよいのかと考えた時に、高等教育が普及していないことに気づくんです」。これまでの学校では、戦争や宗教は教えても、勉強は十分に教えていなかったのだ。今、現地の国連やNGOの職員として働くひとびとのなかに、燈台の学校の卒業生が多くいるという。

学校でのようす   学校でのようす
学校でのようす   学校でのようす

2001年、空爆をきっかけにタリバン政権が崩壊し、カルザイ政権が発足したことで、難民がアフガニスタンに帰ることができるようになった。そこで、「難民学校ではなく、しっかりとした学校を」と思い、2005年にアフガニスタン国内で教育事業をはじめたという。この学校は今ではアフガニスタンの政府の認可も取得しているため、卒業すると大学の受験資格が得られる。現在、燈台の学校生の大学入試の合格率は、国内の高校の中でも際立って高い。地域の人たちはそれを誇りに思い、自分たちの学校という意識を持って いるのだそうだ。


インタビュー編集後記

インタビュー予定時間をはるかにオーバーしても、いくらでもいいよ、と寛大にインタビューに応じてくださった、浜田さん。自身にできることをしっかり、正しく遂行する。派手さを求めない。現地の方々のことを、思いやる。浜田さんは、そのようなNGOの根本にあるべき理念を、体言されているような方でした。
(JANICユース 代表 小堀優井)
JANICユース http://www.janic-youth.org/(新しいウィンドウが開きます。)

[インタビュアー]
JANICユース 代表 小堀優井
同広報チーム 安西菜穂子
[編集協力]
同総務チーム 桧山孝典


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